TOP > はじめまして、社会保険労務士の福田秀樹と申します。

「はじめまして、社会保険労務士の福田秀樹と申します」

―はじめまして、社会保険労務士の福田秀樹です―

 いきなりではございますが、はじめましてのご挨拶として少しだけお話をさせていただいてもよろしいでしょうか。


私は昭和47年大阪に生まれ育ち、親族全員大阪人という生粋の大阪人です。そんな私が京都で社会保険労務士の開業登録をしたのは平成12年11月(当時28歳)で、以来皆様の御蔭で業務を続けさせていただいております。実を言うと、私は社会保険労務士になりたいと希望に溢れて資格をとって開業したのではなく、元々税理士になりたくて大阪の大原簿記学校に通って勉強していました。私は受験勉強というものが苦手でしたので働きながら勉強をしたら税理士試験には少なくとも6〜7年かかってしまうと思い、半ば妥協(挫折)して?社会保険労務士の勉強にスグに切り替え今日に至っています。

当初、社会保険労務士の仕事で社会保険事務、離職票の発行手続など、必死のパッチでやっていました。2〜3回同じことをすると途端に飽きてしまい、社会保険事務所の職員さんに 「せ、先生から戴いた被扶養者届ですが、子の年齢が103歳になっています‥‥」というようなミスを連発し、もう自分が嫌になったことを覚えています。「社会保険労務士向いてないな〜」という感覚に取り付かれたこともありました。

また、今でもそうですが、社会保険労務士の質は低くて、社長様は社会保険労務士に経営の相談なんてできないと判断されているように感じました。また、たとえば税理士さんの顧問料が5万円なら社会保険労務士は1〜3万円くらいでなければならないーという変なコンプレックスもあったり‥‥、経営相談ができる税理士さんはおられますが、経営相談ができる社会保険労務士は私も含めていないように思えてなりませんでした。社長様から何の期待もされないのでクレームも出ない、顧問料も安く人畜無害の社会保険労務士‥。その問題意識と情けなさから沸々と「なんとかしよう、逆にこの業界で生きていってやろう」という闘志が芽生えていくことになります

経営や労務のアドバイスをさせていただくのに若さはハンディでした。当時30歳前後の若造に何がわかるの? 百選練磨の社長様なら、そうお思いになるのは当たり前です。今では年齢+10歳老けて見られる私も、当時はどうやったら貫禄を見せられるか、と同じ悩みを持つ同級生の医者と居酒屋で研究したくらいです。

そこで、常に社長様とは「客観的な数字」と「法律の条文」を下にお話をさせていただくことを徹底しました。賃金統計、決算書や試算表、○○法改正‥‥、だから、こうすべきですよ―、これ以上説得力のあるツールはありません。まっとうな社長様は真剣に私の話を聞いて下さるようになりました。同時に社長様から経営についてたくさんのことを教えていただいたことは言うまでもありません。

私は豊かさの申し子と呼ばれる団塊ジュニアで、日本が成長をひた走ってきた恩恵を受けた世代の代表です。その日本が今や人口減少、経済縮小、超高齢化高負担によりまさに「縮む国」と成り果て、これからそれが加速度を増します。日本経団連は「優雅なる衰退」と標榜していますが、人間もまた、縮む、縮小するときには必ず重い病気になりますきれいごとでは絶対に済まないはずです。

2009年度の国の税収が大幅に落ち込み、36兆円9千億円にとどまり、国債発行額は53兆5?覃抃???千億円に膨らむ見通し―国債発行額が税収を上回るのは、戦後の混乱期だった1946年以来のことだそうです。何かが揺らいでいるし、何かがおかしい

国家経営、企業経営が重い病に陥り、その存続が誠に難しい時代になる。

「社会保険労務士の地位の向上」など高邁な志などは全くありませんが、本当に社長様から信頼され、なくてはならない存在となるためにはいかにあるべきか―それだけを考え続けた、悪戦苦闘の10年でした。私の目指すところは、微力ながら困って悩んでどうしようもない、経営のニーズにお応えする、影の町医者“ブラックジャック”として旧弊に切り込み、社長様をお救いすることです。

まだまだ能力不足ですが、社長様、企業様を救いたいという情熱は誰にも負けないと自負しています。

最後になりましたがお読み戴きまして本当にありがとうございました。

                                                      感謝。
                    

 


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